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2014年5月24日 (土)

お知らせとお詫び

このたび事情があって

突然のことですが

7年ほど書いていたウェヴリブログから

こちらへ引っ越しすることになりました。

アクセスしてもつながらなかったので

心配された方もいらっしゃったと思います。

ごめんなさいね。

現在、過去記事を引っ越し中ですので

それが済み次第

本格稼働したいと思っていますので

しばらくお待ちくださいますように・・・

ランキングが下がってしまいました。

左サイドバーのランキングを
クリックしていただけたら ありがたいです。

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コメント

はい、心配した者です>< ココログへのお引っ越し中だったのですね。これからも楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

>JINAさん
ご迷惑おかけしました(汗

引っ越しツールがうまく作動しなくて・・・
過去記事は少しずつこちらに
移していくことになると思います。

訪問、コメント感謝しています。

しむーさん、 貴方は急がし過ぎた、と思っています。
貴方ほどグログで返事をせっせと書く人を私は見た
ことがありません、それが勿論”人気ブログランキング”
を ずーと1位に維持できた大きな理由、と思います。

今、新しい環境で、貴方には何が必要か、どうすれば
良いか答えが出たところでの決断だ、と思います。
私も貴方に向けた余計な雑音を反省しています。
時々は読みに立ち寄ります、元気でやってください。
   それではこれで、田舎の親父

>田舎の親父さん
今回の引っ越しは
詳しくは書けませんが大人の事情です(笑

お気になさらないで
今まで通りコメントをくださいますように・・・

しむーさん、 そうですか、何か訳ありの状況で
移転を止む無く断行したようですね。
貴方はどうも多くの女性に人気があるから、
”人気ブログランキングは7割くらいは女性
からのものだろう、と私は感じています。

私などは自由勝手に動きたい、貧乏暇なし
仕事なしだから、女性は面倒で、追駆け
られたこともありません。
気がついたら女房がいた、そんな感じ。
ただドイツでは、一人で約3年いたので、
自分を食べさせる食事が面倒でした。
今日はこちらの”メモリアルデイ”で故人
を思い浮かべてしんみりとするなり、
式典をするなり、そのような記念日です。

こちらの祝祭日は、1年にそちらの半分の
10日しかありません。
しかし無職の私は1年365日が自分の
ものです。 ではこれで、失礼します。

コンニチハ、ウエブリのヒロです。

一週間くらいブログ訪問をさぼってました。
その間に引っ越しされてたんですね・・・

きょう、アクセス出来なくて焦りましたがスグ探せてよかったです。

また、お邪魔させて貰いますね!

>田舎の親父さん
日本人は働き者なので
祝日を設けなければ休まない民族なのかも・・・
西洋のように
バカンスやクリスマスのような長い休みは、
とりませんからね。

女性のほうが
筆まめな方が多いせいじゃないでしょうか。
実際のところ
私に会うことは避けたほうが
賢明と思います(笑

>ヒロさん
わざわざ探してくださって
ありがとうございます(#^.^#)

本当はこちらから挨拶をしないと
いけないのでしょうけれど(^_^;)

これからもよろしく^^

しむーさん、 先週は私の妻もトマトの苗木を
2本も買って来ていました。
10cm角の鉢が付いていましたから1鉢が
$3~4くらいのようで、値段は知らない、と
とぼけていました。

日本の苗木よりも数倍高そうで、その代わり
実が沢山付くことを期待しています。
しかし、スーパーでこちらのトマトは安いんです。
ただ新鮮なトマトが食べれる、ということです。

このブログは、コメントが確認できますから、
優れもので、そそっかしい私にも良いですよ!

しむーさん、これは記憶に残る私の失敗。
ドイツ駐在の最初の年、来てやっと1ヶ月が過ぎた
6月下旬ころのある日曜日の朝、こっそり持って
来たエンドウなどの野菜の種を会社の駐車場の
隅の方に社長の許可を貰って植えた。

酷く硬い土を小さな手持ちのスコップで苦労して
堀返し、猫の額の畑ができた。
そこへ車が1台静かに入って来た、何と地元の
パトカーでポリスが一人乗っていた。
彼は話が通じないことを良く知っていて、決して
降りて来なかったがじっと私を見ていた。

その辺りには、2階建てのアパートが建っていて、
住人が自宅から、変な東洋人が何かやっている
のをこっそり見ていて、ときっと警察へ電話をした
のでしょう、彼はエンジンを止めてまだ見ていた。

撒いた種に砂をかけて、バケツの水もかけて
仕事は終わった、それでポリスもさっさと帰って
行った、彼は何故ここへ来たのか考えてみた。
敬虔なキリスト教徒の多い南ドイツでは、日曜は
休息日で、働いてはいけない、と本に書いて
あったのを思い出した、ましてや雑音を出しては
いけないことに気がついた。

この失敗は静かに私の心にしまっておいた類の
一つで忘れてしまう前に書いておくが、もうとっくに
時効の話です。
まだまだあるぞ、あの習慣が大きく違う異国での
大失敗、あれは何だったのかなどなど、、、
それではまたです、 田舎の親父

>田舎の親父さん
野菜は
食べる楽しみのほかに
育てる楽しみがあって・・・
多少色や味が悪くてもおいしいものです^^
今回は日よけ・・・
グリーンカーテンも兼ねて
ミニトマトを植えました。

ドイツはプロテスタントが多いところですね。
まあ今の私には
もう縁がない話ですが・・・

しむーさん、プロテスタントの人が多い、とは良く知って
いますね、それは北部ドイツで、南部はカトリックの人が
多いです。
月の給料から、教会への寄付の支払いが天引きされ、
それを納めている人は教会の敷地内に自分のお墓が
約束されているようです。

小さな子会社でなの私と一緒にいつも働いていた
テクニシャン君も私がドイツへ行った直前に採用された
大変な太い若い男で彼との思い出は沢山あります。

独身だったので、たまには私のアパートの部屋に付いて
いる洗濯機を貸してやって洗濯をさせ、その間に私は昼飯
の残飯形チャーハンにスープを作ってやったら、これが
大好きで大当たりになり、北部の実家へ報告まで行き
そんなことはつゆにも知らなかったです。

その洗濯の最初の週末は、朝大荷物を持って私の所へ、
来ましたから、どこへ行くのかね?と聞いたものです。
大荷物はズボンやら、パジャマやら洗濯物を沢山旅行
カバンへ入れて来たのです。

それからが大変、丸1日かかって洗濯し、短時間の乾燥は
困難はベットのシーツにまとめて持ち帰り、自分の所で
干したことです。 そうそう、表で洗濯物は確か干せない
ので、アパートの中にも乾燥させる暗室みたいなものが
1階の裏手にありました。

アメリカはその点、もっと日本に近い生活で、洗濯物は
家の裏庭で干せるし、布団干しもその手でです。

しむーさん、 ドイツで最大の失敗を書きましょう。
その太ったテクニシャンの相棒君が次の年のある日曜日の
朝に、予告も無くフラーっと私のアパートへ来ました。

何をする予定もなく、私の古い車、赤いカブトムシでドライブに
出ました、何の目的も無く西の方向へ向かって話をしながら。
我々の住むミュンヘンから南西へ車で約1時間くらいの牧場も
広がる田舎町辺りでは当然高速道路も無く、県道で町が
繋がっているだけ、ただ牧場からは牛が時々逃げ出して来た。

そんな道でも速度制限は100Km/hだから驚きです。
どんどん西へ向かう内にリヒテンシュタインを通り過ぎてスイスへ
入っていました、あれこれと話を続け、車も更に進んでついに
チューリッヒ湖畔まで来ていた。
日は傾き、薄暗くなってきて空腹を満たすために小さなレストランへ
入って食事をして、引き返すことにした。

また良い調子で話をあれこれと弾ませ、道が赤と白の斑の鉄棒で
遮断されているところへ来たのは夜も9時前だった。
さて、おい!これは困ったぞ、何と2人共パスポートを持っていない
のに気が付いたのだ、出国時には一切チェックしないのだ、アー!
国境警備員が手招きをして、こちらへ来て止まれという。
テクニシャン君だけが来い、と呼ばれてオフィスの中へ入って行った。
私は、呼んでも無駄なのか、客人に具合悪いところを見せない為か、
放任状態だった、待てど暮らせどどんどん暗くなり、10時少し前に
テクニシャン君は解放されて、車へ戻って来て運転を続けた。
どんなことが有ったのか、彼はその後も一切この件の話はしない。

恐らく、相当な書類手続きの下に、口外禁止も含めて一切を承知
するサインをさせられて開放されたのだろう、と私は想像した。
さすがは親日国のドイツで、私には一切オトガメ無しで、非常に
好感を感じさせる処置であった、それはごく田舎の小さい国境検問の
部署であったが、それ以来私はドイツのお客のために製造していた
特殊な製品に更に私の情熱を入れて使い易い良い製品にして
喜ばれたこともありました。 

日本ではこんなことは起こりえないが、ヨーロッパは地続きで容易に
隣国へ入れるから起きた、1977年頃の古い大恥でした。
やっと帰ってきたアパートの前で、既に翌日になっていて、翌朝は
実に眠たい2人でありました。
こんな失敗談は聞いたことも読んだことも無い大失態でした。
ただ忘れもしないことは、テクニシャン君の膀胱は大変大きく、
その日は林の中でたった1度の立ちションだけだったことだ。

今、考えると当時チューリッヒ辺りはUFOが良く飛んでいた筈です、
何故ならビリー・マイヤーの家はチューリッヒのちょっと外れた辺りで
スバル座近辺からの客人が7時間程で飛んで来ていたらしい。
しかし、彼からの情報はもう新しい事も無く影が薄くなっている。

>田舎の親父さん
ドイツでは
ほろ苦い体験をなされたのですね。
でもそれは
若さゆえできたこと。
冒険は、若者の特権でもあります。

チャーハンは誰でも美味しくできて、それでいて奥が深い食べ物ですね。私も大好きですが、高カロリーなので最近はご無沙汰しています。

同じクリスチャンでも
南北ドイツで
宗派が違うのですね。
ドイツはルターやバッハを生んだ地ですから、プロテスタントが多いと思っていましたよ。

EUになった今、
通貨は同じユーロですし、パスポートもいらないでしょうから、時代は変わりましたね。

しむーさん、そうです、時代が大きく変わりました。
自由ベルリン大学を1度だけ仕事で訪問して、帰社の
前にあのブランデンブルク門へ寄ることができました。
そして、眼前のあの東西ドイツを分ける頑強な壁の
厚いこと、これを崩すことはまず無理だろう、と内心
感じたものです。

ところが、その後、自由を求める群衆の膨大な力が
結集してあの壁を完全に打破してしまった。
それには西側からの軽快な音楽も東側の人々を
取りまとめる大きな原動力の1部になっていた、と
私は感じていました。
しばらくその現実が信じられなかったのは、私だけ
では無かったでしょう。

>田舎の親父さん
ベルリンの壁崩壊は
あっけなかったですね。
それだけ人々の自由を欲する力が勝ったのでしょう。
その光景を
目の当たりにされたのですから
良い経験をされましたね。


しむーさん、ベルリンの壁の崩壊は1989年11月10日だった
そうで、私は1981年10月末にはもうこちらへ来ていました。
しかし、こちらの製品をドイツへも出荷していましたから、据付
作業で南部のドイツへも出かけ、東ドイツから来ていた
大学生と話がをする機会があったが、こちらは物価が高い
ので生活は苦しいようでした。 
ホテルではベトナム人の給仕達が食事の世話を真剣に
やっていて、とても好感が持てました。

そして、昔、懐かしいオーストリアのチロル地方へ行き、
週末をたっぷり楽しんだものです。
あの辺の雑草は種類も違うので、色も濃いし背が高く
伸びないので、手入れをしなくてもいつも綺麗です。
子供達が少ないのか、ハイジを見たことは無いです。

>田舎の親父さん
そうでしたか。
勘違いをしていたようです。

チロル地方は、アルプスがあって
標高が高いでしょうから
高山植物のように
雑草も背が低いのでしょう。
映画サウンド・オブ・ミュージックも確か
舞台はチロルと思いましたが
緑豊かなところで歌を歌っていたのを思い浮かべましたよ。

しむーさん、 こちらもいよいよ暑くなって来てあれこれと
忙しくなって来ました。
私の住んだドイツ、魅力多いが難しい田舎でした。

朝の通勤時に牛が農道を10頭1列で歩いている、
次の機会には20頭も歩いている、こんな風景を
年に数度見たことがあります、何をしているのかね?

思うには、多分昨夜の博打の払いを牛でやっている
ようで、間違いではないようだ。
色々思い出がありました、それはそれで良いのです。

>田舎の親父さん
秋田市も6月とは思えないほどの暑さです。
体が慣れていないせいもあって
30度前後まで気温が上がるとさすがに
外を歩くことは躊躇してしまいますい・・・

理由はともあれ
牛がぞろぞろと
列をなして歩く光景はおもしろいですね^^

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